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インタビュー
2019/03/25

「27歳で年収1,350万円」大手メーカー営業MVPが辞表を出すまで

20代で年収1,000万円を手にできる仕事といえば、世の中でかなり限られている。実際、年収1,000万円超を稼いでいるのは給与所得者全体の約4%*、20代ではわずか約0.2%**しかいない。しかし、一方で旧来の価値観に囚われないニューエリートの中には、いとも簡単に「年収1,000万」を手放す人も少なくない。 20代で誰もが羨む高収入を得ながらも、それを捨てるという選択をしたエリートの肖像に迫る本シリーズ。第1回は、有名私立大学を卒業後、高給で知られる大手メーカーC社に入社、26歳にして年収1000万円を超えたSさん(男性、30歳)に聞いた。 *国税庁「民間給与実態統計調査」をもとに算出した2016年の数字。 **出典:転職サービスdoda「平均年収ランキング2015」
「27歳で年収1,350万円」大手メーカー営業MVPが辞表を出すまで

「男は稼がないダメ」と思っていた

――Sさんは社会人3年目にして、若干27歳で年収1,000万円を超えられたそうですね。やはり、最初から「年収」にはこだわりがありましたか?

Sさん:年収というよりも、もっと単純に「男は稼がないダメ」とは子供の頃から思っていましたね。というのも、実家がわりと貧乏だったんです(笑)。

親戚に大手企業の役員を務めているおじさんがいたのですが、その家と実家の経済格差みたいなものは子供ながらに肌で感じていて。

たとえば、あっちは車はベンツで家は三階建なのに、こっちはフツーの国産車で賃貸のボロ屋だったり、うちは親からお年玉なんかもらったことなかったのに、おじさんは毎年ポンと1万円くれたり。

そういう生活レベルの差を目の当たりにしていたので、中学生くらいから漠然と「経営者になって、お金稼ぎたいなあ」とは思っていました。

だから、大学時代は友達とポータルサイトを立ち上げて起業したり、経営者のコミュニティで学生部を立ち上げたり、なんとなく「経営」の近くにはいたような気がします。経済学部を選んだのも、「経営」への興味からです。

――でも、大学卒業後は起業して経営者になるのではなく「就職」の道を選びましたね。

Sさん:そうですね、結局友達とやった起業は赤字を抱えて事業を畳んだこともあり、3年生の秋から普通に就職活動を始めました。

大手広告代理店や、当時話題になっていたITベンチャーA社、人材サービス大手B社などを受けました。

理由はわりと単純で、広告代理店は、もともとエンタメが好きで興味があったし、キラキラした世界で高収入だと聞いていたから。A社はイケてる先輩が入社して楽しそうに仕事をしているのを見て「いいな」と憧れ、B社は人事の人がめちゃくちゃいい人で惚れました。

そんな感じだったので、今から振り返ると、深く考えずに「なんかイケてる」という感覚で会社を選んでいたかもしれないですね。

――大手広告代理店、ITベンチャーA社、人材サービス大手B社といえば、今も就職先人気ランキング上位にランクインする企業ですね。そのなかで最終的に大手メーカーC社を選んだ理由は?

Sさん:今ではC社といえば、高給で全国的にもよく知られた企業ですが、僕が就職活動をしていた当時(2011年)、知名度は決して高くありませんでした。

実際、僕も最初は知らなくて、たまたま届いたダイレクトメールを見て「なんかおもしろそうな会社だな」と気になり先輩に聞いてみたんです。

すると、「あの会社はすごいぞ! 死ぬほど営業して死ぬほど稼げる会社だぞ!」「外車とか、入社1、2年でフツーに乗れるぞ!」「30歳までには絶対に年収1,000万いけるぞ!」という情報が次々に飛び込んできて(笑)。

それで俄然行く気になりましたね。あとはまじめな話、ビジネスパーソンとして営業力がすごく身につくという話も聞いて、自分の成長のためにも、営業の仕組みが整ったC社で働きたいと考えるようになりました。

ちなみにC社は当時中途採用を実施していなかったので、「新卒しか切符がない」というのも決め手の一つでした。

クラブでは毎回VIP取ってました

――そして、無事に選考を通過して、晴れて新卒でC社に入社するわけですが、C社ではどんな仕事をしていたんですか?

Sさん:メーカーが製造過程で必要とする、さまざまな精密機器の営業をしていました。営業の仕組みが完成されていたし、合理性が高い組織なので理不尽なことはなかったので、営業という意味ではやりがいはありましたね。

アクションがすべて数値化されていて、自分の強みと弱みを分析しすぐに改善でき、日々成長を実感できました。実際、全国の総合成績でMVPを連続獲得するなど成果も残せました。

――噂通り、高収入でしたか?

Sさん:もらってましたね。初任給は年収600万円ほどですが、入社1年目の終わりからボーナスがもらえるので、そこから退職するまでずっとお金はある状態でした。

2年目で年収900万円、3年目で1,000万円を超えて、辞める時には1,350万円までいきました。ボーナス1回が2ヶ月半分くらい。しかも夏と冬だけじゃなくて、春と秋にもその約半額が支給されました。ボーナスにはガッツリ営業成績が反映されるので、MVPを獲った頃には1回のボーナスで200万円くらいもらってました。

――年収が上がって、生活は変わりましたか?

Sさん:はじけました(笑)。とにかく飲んでました。クラブでは毎回VIP取るのは当たり前、合コンも行きまくってました。年に3回の長期休暇には必ず海外旅行に出かけ、ラスベガスのカジノで遊んだり。派手に使いました。あとは、奨学金を返したり、親に仕送りしたり。ただ、モノには興味がないので、洋服とか車に使うことはなかったですね。

――やっぱり「年収1,000万」を手にした時は嬉しかったですか?

Sさん:自分の中では大きかったですね。ある種のステータスを手に入れた気がしました。地元の友達も「こいつ、すげー会社で働いてるんだぞ」と誇りにしてくれたし、親も喜んでくれましたし。

年収300万円の友人を見て考えたこと

――仕事は楽しかったですか?

Sさん:いや、楽しくなかったです。いかんせん、自分が売っている商品自体に全然興味が持てなくて。もちろん愛着もないので、そこがつまらなくて。

でも、トレードオフだと感じていました。他の会社に就職した友達と飲んでる時、内心では「自分よりしんどい思いをして、年収300〜400万円なんて薄給でよく働けるなあ」と思っていたんです。年収1,000万円を社会人3年目で手に入れることと引き換えに、仕事の面白さにはある程度目をつぶろうとしていたのかもしれません。

――他にも「仕事がつまらない理由」があったそうですね。

Sさん:仕事がつまらなかったのは、扱っていた商品に興味が持てないのもありましたが、尊敬できる先輩がいないことも大きかったですね。みなさん、営業パーソンとしてとても優秀だし、結果も残しているんですが、willがないんです。自分はこんな人間になりたいとか、会社をこんなふうにしていきたいとか、そういうwillが感じられなくて、一緒に飲んでいても車や家の話ばかり。

社員の多くは20代で結婚するので、30代では子供を持って家を買うのが定番コース。そうなると生活水準を下げられず、身動きが取れなくなっていく。世間からは羨まれる高収入を得ながらも、お金に縛られて人生の選択肢を狭めていく先輩たちを見ていて、だんだん「ああはなりたくないな」という思いが募っていきました。

――このまま会社にい続ければ、さらなる高収入を得られるけれど、それで失われるものも見えてきたわけですね。

次回は、27歳にして年収1,350万円を手にしたSさんが、年収が5分の1に減ることを覚悟して友人と起業するまでのストーリーに迫ります。


(青山裕子)

後編はコチラから

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