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その想いで、行動で、文化を紡いでいく【バリューマネジメント】

歴史的建造物・文化財の再生ビジネスを通じて新たな価値を生み出し、文化を紡いでいく。それがバリューマネジメントのビジョンだ。難題であるほど、課題と向き合い、想いを行動に変えていく。目の前の高い壁を乗り越えた先に、この国の未来がある。

Ryosuke Matsuo 松尾 諒介 神戸大学 経営学部 卒 2013年入社

内定者時代、入社1年目に圧倒的成果をあげ、社内最速でマネジメントクラスへ昇格の後、2年目で経営陣入り。その後、地域創生事業、海外事業、新規事業の立ち上げなどを歴任。現在は宿泊事業部・PARTY & MICE事業部・インバウンド事業部の統括ゼネラルマネージャーとして幅広い分野で活躍中。

---文化を後世に残していくビジネスとは?そのスキームを教えてください。

日本の歴史的建造物の多くは、築100年を超えるような木造建築です。

これまでは税金で維持してきたのですが、人口減少に伴う税収縮小により維持保存が困難な状況に陥っています。

そういった建造物の趣や価値を極力残しながら、現代の人々に必要とされるスタイルでご利用いただき、その利益によって歴史的建造物を保存していくというスキームです。

このビジネスの切り口は二つ。一つは『観光』です。

観光はギャップを楽しむもの。その地域にしかないものが、訪れる人にとっては何よりの観光資源になります。

本当にいいものなのに、あまり知られてない。そこに地域外の人を呼び込み、外の需要に応えることでビジネスを運用していくという戦略です。

もう一つの切り口は『アニバーサリー』。

こちらは、その地域の方たちにお祝い事があったときに、施設をご利用いただき、地域内の需要を高めていくというもの。

この二つの活動を基軸にしたまちづくりを行うことで、地域を活性化。その継続が地域創生につながっています。

私たちにとって逆境はチャンスでしかない

―歴史的建造物の保存と利活用が、地域創生につながる理由は何でしょうか?

歴史的なまちには、時の流れを感じさせる建物がいろいろなところに分散していて、それが空き家になって使われていないケースが多々あります。

バリューマネジメントでは、それらを組み合わせて一つのホテルにする「分散型ホテル」を提案。「まち全体がホテル」という新しい旅の経験を求めて、人が集まる仕組みを構築しています。

さらに、コンシェルジュとしてスタッフがお客さまを案内して、まちの魅力に触れていただくサービスを提供。

「このホテルに泊まりたい」という理由で来た人が、帰るときにはまちのことを大好きになっている。「また来たい」と思う。それが地域創生につながっていくのです。

また、分散型ホテルの運用を通して雇用を創出。更に、まちの人たちも記念日に施設を利用することで、まちの魅力を再認識。愛するまち、自慢できるまち、地域の人々のその想いがまちを活性化させます。

私たちは、この活動を日本中のさまざまな地域で展開。面でつないでいくことで日本全体の価値を高め、観光立国への寄与、つまり外国人旅行者から選ばれる日本になることを目指しています。

地域、日本、そして次は世界です。ビジョンは「日本の文化を紡ぐ」から「文化を紡ぐ」へ。

日本発の課題解決モデルを世界中に展開していきたいですね。

―どのような人材が活躍できますか?

当社の強みは、物件の開発、企画から、マーケティング、セールス、オペレーションまで、バリューチェーンを一括して保有しているということ。

お客さまにとっては、施設を正しく「運用し続けられる」メリットがあり、社員にとっては、自分の強みを生かした働き方ができます。

人には得意、不得意がありますが、弱みを克服して平均点の人材になるのではなく、強みを更に突出させる。

そして、異なる強みを持つ人でチームを組成することによって、最大の成果を出す。

どれだけすごいシェフがいても、どれだけ優秀なサービスマンがいても、一人で資源の価値を高めることはできません。

当社のビジネススキームにおいては、組織力の最大化=成果の最大化なのです。

―コロナ禍という逆境。その影響は?

私たちがコロナ禍をどうとらえているかというと、10〜15年かけて進むはずだったことが一気に半年や1年で来たという感じですね。

時間が圧縮されただけでも大事な資産を得たと思っています。

また、世の中がうまくいっているときは有利な立場にある人が有利なものを享受し続ける状況がありますが、逆境はそれをひっくり返すので、本質的なことに取り組み、難題に挑み、懸命に努力している人だけが、一気に駆け上がれる環境になります。

逆境は、私たちにとってチャンスでしかないですね。

会社概要

バリューマネジメント株式会社 設立   2005年2月 資本金  3,000万円 売上高  97億8,000万円(2019年度実績) 従業員数 877名(2018年12月末時点) 事業内容 歴史的建造物の利活用、歴史的資源を活用した観光まちづくりとして

NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町 プロジェクトストーリー

なつかしさと新しさが交わる大人の城下町あそび。「まち全体がホテル」という新しい旅のスタイルを実現させた立役者たちの物語に迫る。

(写真左) Tomosuke Sato 佐藤 智介 上智大学大学院 理工学研究課程修了 2016年入社

入社して3年間でマーケティング部、宿泊事業部支配人、クロスファンクション事業部(現PARTY & MICE事業部)、人材開発部新卒採用担当と4つのジョブで成果を上げる。その後2年間は国土交通省観光庁に出向。復帰後は、新規事業開発、社内プロジェクト推進、人材開発部の採用マネージャーなど多くの役割を担う。

(写真右) Kakeru Miyamura 宮村 翔瑠 関西学院大学 経済学部 卒 2020年入社

入社1年目に地方創生展開エリアプロジェクトにジョイン。入社10カ月で「NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町」の支配人として、メンバーマネジメント、地域の方との連携、マーケティング・プロモーション等、地域の魅力の最大化と顧客満足の最大化を図るプレイングマネージャーとして活躍。

お客さまの期待を超えていく

―まずは『NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町』について、教えてください。

佐藤:日本の原風景、そして奇跡的に今も残っている建物や文化、伝統。

しかし、過疎化→働く若者がいない→自治体の税収減という悪循環によって、それらを維持できない状況に陥っている地域がたくさんあります。

私たちは、そういった課題に対して、歴史的建造物を活用して収益を上げることで、建物の維持保全だけでなく、雇用の創出、ひいては地域創生につなげていくビジネスを行っています。

その「歴史的建造物の保存と利活用」事業の中の「まち全体がホテル」の取り組みの一つが、『NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町』です。

空き家になっていた町家や古民家を利用した小規模分散型ホテル全20室を運用。

加えて大洲城の木造復元天守に宿泊する日本初の体験「キャッスルステイ」も企画し、大洲の地域活性化に貢献しています。

―プロジェクト立ち上げの経緯とお二人の役割は?

佐藤:大洲市からオファーがあり、官民連携協定を結んだのが2018年。

あくまでも主役は大洲のまちであり、建物であり、そこに住む人たちなので、皆が気持ちを一つにして取り組まなければ、大洲の魅力を最大化することはできません。

まずは、地域の人たちに説明してご納得いただくことからスタートしました。

私は当時、国土交通省観光庁に出向中だったため、国の職員として大洲を訪問し、さまざまなアドバイスを行うなど後方からサポート。

いくつものハードルを乗り越え、『NIPPONIA HOTEL 大洲 城下町』が2020年7月にオープンしました。

宮村:私は、2020年9月にこのプロジェクトにジョインし、2021年2月から支配人という立場でホテルの運営に携わっています。

オープンまでの活動が0から1だとすると、1から2、3と増やしていくことが私の役割。どれだけ増やしていけるのか、それを今、カタチにしているところです。

大切なのは、お客さまに大洲というまちのことを知っていただきファンになっていただくこと。

「インスタグラムで写真を見て、素敵なホテルだと思って泊まりに来ました」というお客さまが、チェックインや食事のタイミングで私たちのプレゼンテーションを聞いて大洲のまちに興味を持ち、実際に地域に足を運ぶことでファンになる。

それを日々、自身がまちのコンシェルジュとして真摯に繰り返していくこととマネジメントが私の仕事です。

目指すべきビジョンがあり 価値観が同じであることが重要

―成果へのコミットのために大切にしていることは?

佐藤:一般的なまちづくりのコンサルティングは、つくって終わりというケースが多いのですが、つくったものを正しく運用し続けなければ、成果を最大化することはできません。

バリューマネジメントの強みは、施設運用の根幹となるマネジメントとオペレーションを提供できるところ。

大洲のプロジェクトでは宮村くんがそれをやってくれています。

宮村:フロントと客室とレストランが分散しているので、都度お客さまを車で送迎しなければなりません。

清掃も、普通のホテルなら「上の階から順番に掃除します」で終わるのですが、当施設は部屋の移動に車で5分以上かかってしまいます。

だからこそスタッフのマネジメントとオペレーションがとても大切です。

―成長を感じるときは?

佐藤:プロジェクトスタート時、よそ者である私たちがご一緒させていただくにあたり不安を感じている住民の方一人ひとりに説明して納得していただく行為を積み上げていくこと、地域内外の関係する方々に理解していただくことは、とても厳しいものでした。

ですが「絶対にカタチにする」という強い意志を持ち、大洲の未来を信じていたからこそ、それが伝わり結果的に住民の方をはじめ多方面からの信頼につながったのだと思います。

一方で、誰もやったことがないことを成し遂げる楽しさややりがいもありましたし、立場が違う人との折衝という経験は、何よりも私を大きく成長させてくれました。

宮村:旧加藤家住宅のオープンや、国の重要文化財である大洲城三の丸南隅櫓の利活用など、施設自体の新たな開発も進んでいます。

今までにないものをつくる過程では、ありえないことが頻繁に起きて、その対応に悪戦苦闘。経験の量が圧倒的に多いので早く成長できますね。

―入社1年目で支配人に抜擢されたときは、どのような気持ちでしたか?

宮村:大洲プロジェクトは全国的に見ても希少なプロジェクトで、難易度が高いだけに社会的意義も大きく、就職活動中にその説明を受けたときに「自分がやりたいことは大洲にある」と強く感じました。

入社後も参加したいと発言していたし、「自分にはこんな課題を解決できる」と社内プレゼンも実施。抜擢されたときは、本当に嬉しかったですね。

佐藤:私たちが一番大事にしているのは、100%のマインドです。「お客さまの期待を超えていくんだ」という気持ちがあるからこそ、スキルはあとから追いついてきます。

宮村:私もマインドを整えることから始めて、会場のマーケティングや新しいコンテンツなど、外側に向けてのアクションを後から走らせました。

今後も初心を忘れず、大好きな大洲のまちの魅力がもっと多くの人に伝わるよう発信し続けます。